多摩大学、一般社団法人日本総合研究所が取り組んでいるジェロントロジー協議会というものがあります。
そこでの話ですが、行政は高齢者の活動の場をつくることはできていないという話がありました。
これまで、高齢者の生きがいづくりで多くの学びの場は提供してきたものの、学びで終わってしまっている。
これまでは学びで終わっても問題はなかったが、人生100年時代となると、学びの後のそれを活かす場もないといけないのではないかという問題提起でした。
そして、その活かす場というのは行政では難しい。
というのも、行政は縦割りだからというのが答えでした。
では、なぜ縦割りがだめなのか。
縦割りがだめだということは、20年以上前から言われていることで、当たり前です。
そこの原因の分析と、その対策が示せなくては全く意味がありません。
多くの人がここまでしか考えられないので、これまで答えが見つけられなかったのだと思いますが、ここで私の登場です(笑
ご説明しましょう。
今回の例で考えてみると、行政が学びの提供を行っています。
そして、学びを活かそうと思ったときにその分野を所管するのは、学びを提供している部署ではなくなるんですね。
たとえば、市民活動の部署で地域で活動しましょうという講座をしたとします。
学び終わって、受講生が川の清掃をやろうとなったとします。
その川の清掃の所管は市民活動の部署ではなく、環境分野だったりするんですね。
そうすると、そこで行政職員間の引継ぎができません。
市民活動部署では信頼関係が職員と市民の間でできていても、他の部署の職員とその市民との信頼関係はゼロです。
もちろん、市民活動の部署の人が紹介してくれれば多少は話を聞いてくれると思いますが、引き継いだ側の職員はその市民に対して全く思い入れはないわけですね。
そうなると、職員としてはたくさんいる市民の中の一人という扱いしかせず、せっかく育った学んだ市民もそのまま大した支援もせずに終わりにしてしまうということになるわけです。
よくワンストップサービスと言いますが、役所では市民と職員の間で信頼関係が築けている人がワンストップで対応することが大切で、一人の職員がどこの部署にも案内できます、その先の手続きはその部署の人に任せますというのでは全く意味がありません。
もちろん、転居に伴う一連の手続きなどであれば、そのレベルでも満足を得られると思いますが、市に参画、協働しようというレベルになると足りません。
そのため、市に関わる人というのは、どこの部署にも顔がきく、いろいろな部署に顔を出す必要があることになります。
このハードルというのはなかなか高く、逆に言うと、それを越えてしまえば市とはやりやすくなると言えるのかもしれません。