ドアストッパーが外せないときは、成長を促されています

ウケる日記という本を読みました。

この本は、著者の同名のブログからの記事を書籍にしたものなのですが、読み物として面白いんですね。

これを読もうと思ったのは、毎日このブログを更新している中で、少しでも面白いものを書ければと思ったからです。

これを読んで感じたのが、著者の水野敬也さんは、逆境を神のお導きとして前向きにとらえ、そういったキャラ設定によって個性が伝わり、面白い内容になっているのだということでした。

振返ってみると、私のエントリからは個性が感じられません。

仕事の部分だと固い内容になってしまうのだと思いました。

そこで、少なくとも子育ての部分についてはもっと面白いものにできればと思ったところです。

気づいても、それをすぐに実践するのはなかなかうまくいかないものですが。

ドアストッパーという怪物

最近、子どもはハイハイをしていろいろ動き回ったり、簡単な引き戸は開けて、その中のものを出したりします。

そんな中、ある日、家に帰ってみると、突如引き戸にストッパーが付けられていました。

しかも、いろいろなタイプの方がきれいだと思ったのか、3種類のストッパーがつけられているんですね。

包丁や鍋がしまってあるところのおのは、ストッパーにでっぱりがついていて、そこを押すと開けられるというタイプです。

これは一見してすぐにわかるので、問題なくできました。

そんな中、こいつは現れました。

どこを押せば良いのか全く分かりません

なんとなくピンクになっているので、こちらを回りたり、押したりすれば良いのかと想像しましたが、全く動きません。

しかも、このストッパーは私が今使いたいと思っているゴミ袋が入っている非常に重要な扉についています。

我が家では、ゴミ箱は一つで、おむつなどもそこに捨てるので大体1日で埋まります。

ゴミ箱がいっぱいになったら替えるという状況なのですが、それをしようにもロックがかかっていてできません。

結局赤い方の部分を手前に開けるタイプだということがわかり、なんとかなりました。

しかし、こういうことは良くあるのではないでしょうか。

こういうことというのは、いつの間にか家の中のものが変わっていて、それに対応できないということです。

今まで置いてあった食器類の場所が変わっている。

洗剤の場所が変わっているなど、レイアウト変更はその主なところだと思います。

いつも置いてある場所に、なぜか突然のレイアウト変更が発生していてわからなくなるという状態です。

これは、家族が自身の成長を促しているのだと考えることにしました。

これまで、当たり前だと思っていたことが当たり前ではないと気づけというメッセージを送られているのだと。

そうですね。

たとえば、太陽は東から昇って西に沈む。

りんごは落ちるなど、当たり前のことを疑ってみないと新たな視野は開けません。

家にある食器もいつもそこにあるのではないと。

ストッパーもいつもボタンがついていて、それを押して開けるタイプではないと。

ストッパー事件を通して、当たり前を疑う能力が身に着きました。

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