自分が育った環境が違うと、考え方が異なります。
私と妻も同じで、所々に違いが見え隠れします。
それは、子どもという第三者に接するときに顕著に出ます。
というのも、子どもには良くしたいという思いがある中で、それぞれがベストだと思う方法で接しているところに違いが見えてしまうからで、お互いのベストを戦わせることになるからですね。
それとは別に、何か一つのことに対処する方法というのは、二人とも異なることがあるわけで、私はAという方法をとっているにもかかわらず、妻はBという方法をとるということもよくあります。
そうなると、子どもにとってはどちらを選ぶべきかわからず、混乱をきたすというのが従来の考えでした。
そのため、夫婦間ではそれを統一した方が良い。
あわや、親族が子どもに接するときも同じように接するように伝えたりということもあるようです。
ただ、私はそこは少し考えを変えても良いのではないかと思っています。
というのも、子どもにとっては、複数の対応方法があると混乱を生じることがあるかもしれませんが、それは答えは一つではないということを学ぶ機会になるのではないかと思うからです。
学校の教育では答えは一つですが、社会では答えは一つではないことがほとんどです。
家庭内でもそれは同じで、複数の選択肢がある中で、常に選択を迫られます。
二人の異なる選択をする人間を間近で見ることが、子どもにとっての経験にもなると思いますし、メリット、デメリットを判断する機会にもなるのではないかと思っています。
そう考えると、夫婦間の教育方針を一致させる必要もなく、お互いがお互いが思った通りに接していくのが良いのではないかと思うに至ったところです。
怖いのは、子どもが判断をした際に、片方の意見を全く聞かなくなり、もう一人の意見だけを聞くようになるということですが、あまりに極端な意見の違いでない限り、そのようなことには至らないと思うので、まずはこのまま試してみたいと思っています。