青春を謳歌したい病を患っています

みなさん、一番楽しかった時はいつでしょうか。

それを聞いて多く上がる時期の一つは中学校、高校時代ではないでしょうか。

青春というのはまさにこの時期に当てはまると思っていまして、私は自身が中学生、高校生の時には、いかにも青春的なことをして、青春を謳歌したいと思っていました。

しかし、実際には毎日部活しかやっておらず、部活を引退してからは大学受験勉強しかしておらず、全く青春を謳歌したという思いはありません。

当時の私が生活にはりをもたせるような工夫をしなかったのがいけないのですが、毎日同じように過ごしていたと思います。

もちろん、部活も受験勉強も青春だといえばそうなのですが、人と接するというよりは自分との闘いだった印象が強くなっています。

今改めて考えてみると、仲間と目標を共有して、努力するというのが青春かなと思います。

そういう点では、部活は青春に該当はしませんでした。

そんなこともあって、私は青春を謳歌したいという思いが強いんですね。

大学での一番の目標はコミュニケーション能力をつけることでした。

そもそも、人との交流が苦手なのに、青春というのは体験できないだろうと思ったからです。

しかし、大学生の頃にも、自身の中での青春の定義がなかったので、共通の目標というのは設定できていませんでした。

しかし、友人と旅行に行ったり、何かをするという経験は各段に増えたので、その部分はで満足です。

仕事は目標を持って、同僚と一緒に取り組むため、青春の定義に当てはまるような気がするのですが、どこか違う気もするんですね。

公務員の時も、民間企業の時もそれの感覚は変わらないので、利益の追求だから違和感を覚えるというのではないと思います。

日本人はハングリー精神がなくなったと言います。

食べ物は毎日手に入り、世界の国々に比べれば快適な生活環境を得られるようになったからです。

欲望というのはすべての活力で、これがないと努力するというのが難しくなると思います。

私はこの青春謳歌病が行動力の源泉の一つになっているのではないかとも思いました。

何か楽しいことをしたい、充実させたいという思いですね。

充実という言葉で思い出しましたが、受験生の時に時が怖くなったんですね。

時間が進んでしまうことが。

それを相談した時に、先生が話してくれたのが、時を充実させれば怖くなくなるという話でした。

それを聞いてからも充実させられるようにすぐになったかは不明ですが、意識としては持つようになったのだと思います。

青春は謳歌できませんでしたが、そのおかげで青春を求め続けてなにかをしているという自分がいるのだと思います。