私は新型コロナウイルスに対する取り組みを見ることで、中国と自由主義諸国の違いを浮き彫りにした機会になったと思っています。
特に
- 中国起源による世界へのアンカー効果
- 自由の尊重かそれを制限することによる安全確保か
という点について資本主義諸国の政策スタンスを揺るがす事象だったと思っています。
中国がはじまりというアンカー効果
新型コロナは中国の武漢から始まりました。
当時は発症の状況が秘匿されているなど、状況を表に出さない中国に対して批判的だった報道が多かったと思います。
これは中国らしい、不要な情報は表に出さないという政策の一環だったと言えます。
その後、蔓延が広がり、武漢を閉鎖し、国内の行き来を制限しました。
この時点で中国らしさのもう一つの特徴である、国民の自由よりも安全といった政策がとられはじめます。
この時点では国外への渡航は制限されておらず、それもあって世界へと広がっていくことになるわけですが、この点はまだ中国が世界の中の中国といった意識が成熟していないと言えるかと思います。
そういう部分はあったものの、武漢以外でも都市間の往来を制限し、移動する際のマスクの着用、検温の徹底をすることで、その広がりを抑えます。
春節明けの1か月という間、ほとんどの人を外に出さないという手法を徹底したことがウイルスの拡散抑制という点で功を奏します。
もちろん、その一方で自営業の人など、1か月無収入という人が続出しているわけですが、そのあたりは安全優先ということであまり表には出ていないかもしれません。
というのも、ほとんどの中国人がそのことに納得しているからです。
結果を見てみると、経済活動の継続よりも安全を優先という民意にそった取り組みだったとも言えます。
その間、世界に広がったウイルスは資本主義国家で猛威を振るいます。
自由主義の名のもとに国民の自由を優先する国々は、中国ほどの強制はできずに今に至っています。
日本でも学校は休みにするものの、仕事は休みにはせず、保育園は継続といった微妙なバランスの下で社会が動いています。
そして、疑問に思う人もいると思います。
この程度の対策で良いのかと。
しかし、これは中国と日本の比較での話です。
日本の過去の病気の蔓延対策に比べると異例の措置をとっていると思います。
最初が中国だったことにより、その政策が基準(アンカー)となり、他の国と比べられているという状況が起きていると思います。
社会主義国家と資本主義国家の政策スタンスの違い
私は、今回のコロナウイルスの新型肺炎に関する騒動の中で、社会主義の中国と資本主義のその他の国々の違いが見える大きな出来事だったのではないかと考えています。
おそらく、発生の大元が中国でなければ、封鎖とか移動を制限といった施策は行われなかったと思います。
しかし、中国が最初だったため、中国スタイルがデフォルトになり、それと他の国々の対応が比較されるようになります。
今の日本の対応というのも、これまでに蔓延した病気に比べると異常なほどの対応です。
もちろんそれだけ危険度が高いということなのかもしれませんが、私は中国発症のアンカー効果があったと思えなくてなりません。
2003年頃のSARSの時は、このようなことはありませんでした。
それは、はじめてだったということ、また中国が自分の国の医療政策に自信を持っておらず、思い切った取り組みができなかったということがあったのではないかと思います。
それから約20年が経ち、経済発展をして、経験値もある状況で、自国の強制力を活かした政策を大胆に取ることに対するためらいもなかったのだと思います。
そして、その成果が見えています。
良くも悪くも中国流を世界に知らしめる機会となったのではないでしょうか。
今後、中国が及ぼす影響
今後中国が世界で存在感を高めていく中で、予測できることが二つあります。
一つは、中国がスタートとなることで、社会主義流の政策がアンカーとなり、それに引きずられた政策を世界各国が取ること。
もう一つは、社会主義と資本主義による政策の程度の違いが明瞭になることです。
後者については、これまではほとんど考えられてこなかった社会主義が良いのではないかといった論調も含めての議論が増えてくると思っています。
たとえば、トップダウンで移動や仕事を制限して蔓延を防ぐのが良いか、それとも各企業、個々人の自己責任のもと、一定の自由を持たせるのかといったものは、話題になってくるのではないでしょうか。
西側諸国の自由主義というスタンスが一枚岩ではなくなってくる。
少し大げさかもしれませんが、そんなことを感じさせる出来事ではないかと思います。