多世代交流とは耳障りの良い幻想

多世代交流というものに良いイメージをいただく人が多いのではないでしょうか。

まちづくりでは、いろいろな世代が暮らし、交流する社会を実現したいということがよく言われます。

私も、これまで多世代交流を実現することが、持続的なまちづくりには重要だと思っていました。

しかし、これまで私たちは多世代交流をして暮らしてきたでしょうか。

親、祖父母とは接してきました。また、学校で先生と暮らしてきました。仕事で先輩、後輩と接してきました。

しかし、となり近所の人に注意をされたり、しつけをされる、他の世代の人とアクティビティを行うというのは皆無だったのではないでしょうか。

このことは、私たちが多世代交流を経験してこなかったことを単に意味するのではなく、その先に多世代で交流する必要性を感じないという部分が大きいと思います。

実際、若い世代は若い世代で固まりますし、年配の人は同世代で固まります。

それが、居心地が良いからです。

持続的なまちにおいても、交流は不要で、多世代が共存している環境さえ作れればそれで十分だと思います。

そういった点で、多世代交流というのは幻想で、多世代共生、多世代が見える環境づくりというものが目指すべきものだと思います。

多世代が近くにいる環境さえ整えれば、結果として交流も生まれるとは思いますが、それはメインとなることは今後もあり得ないと思います。

高齢者の知恵を若い人に、若い人のITなどを高齢者にといった話も美しくはありますが、教えることに意義を感じている人はボランティアでやるかもしれませんが、奉仕精神が求められますし、また経済的に余裕のない学生などからすると、ボランティアでなど教えてられないということになるのではないでしょうか。

以上のような点から、多世代交流を魅力として発信しても、響かないと思います。