言って終わりのワークショップにしないために必要な3つのこと

市民意見を聞くため、合意形成を図るためなどさまざまな理由で行政はワークショップを開いています。

これは行政が主催するものなので、行政が意見を聞いたら責任をもってそれを実行するというのが本来かと思います。

ただ、最近は市民がそのまま活動にまで参画するような講座なども開催されており、市民の実行サポートの役割を行政が行うというものも出てきています。

私はこのような事業に参加して何もしないというのがもったいないと思っています。

何もしないということはほとんどないと思うのですが、終了後に会議や打ち合わせをして終わりだったり、講座後は全くサポートをしなくなるというのも無責任ではないかと思っています。

市民からしたら何のための時間だったのかという気持ちになりますし、行政からしてもお金と人と時間を投入しているわけで、無駄だったと言われても反論できなくなってしまいます。

ただ一方で、参加する側にも参加するからにはそれなりの意思が必要になってくるのは事実です。

今はこのような事業を実施する側ではなく、参加側になったため、このことをとても強く意識しました。

そこで感じたハードルがいくつかあります。

一つは自分のやりたいアイデアが見つかるかということ。

二つ目はそれに共感する仲間が見つかるかということ。

三つめは、それを実行するにあたり、関係する人々の協力が得られるかということです。

1点目については、関心のない地域に誘われてはいったり、勉強のつもりで参加したような会には厳しいと思います。

2点目は、声をかければ誰かしら見つかるとは思いますが、その人とうまくやっていく関係性づくり、またモチベーションマネジメントの力が求められてきます。

3点目は、行政や企業など規制、場所、お金の部分で力を得られるととても協力です。

これら3つを乗り越えるのはそれなりに自分自身でもしっかりとした動きをする必要がありますし、それなりの時間がとられるので、しっかりとした覚悟が必要になります。

参加者を募集する際に、できるだけ多くの人に参加してほしいからということで無料にするのがほとんどだと思いますが、お金をとることによってこのハードルをクリアしやすくするのも一つの方法だと思います。

今回多摩市若者会議で私が提案した、多摩市のセミを捕って食べるという企画は市の方々や市民の方々の大きなサポートで実現できたと思っています。

モチベーションの維持の際にも規制や調整ごとについてストレスなくできるというのは意外と大きい点で、その点を配慮できる行政というのは非常にすばらしいと思います。

市民はお客様ということがかつて言われました。

それが2000年代に協働という考えが生まれ、対等の立場で一緒に活動をしていくという流れになってすでに20年近くが経過しています。

しかし、協働する際の行政の役割というのがほとんど見えていなかったのではないでしょうか。

私は今回の活動を通してそれが見えた気がします。

お金も一つかもしれませんが、お金が出るのであれば対等の立場ではなく、委託と受託の関係になってしまうので、対等の立場とは言えません。

では、何か。

それは、規制への対応や各課への調整などは行政だからこそできることです。

行政が管理していることは非常に多いです。

そして、規制というのは行政側の都合の良いように組み立てられていることが多く、市民がその領域に入るとぶつかることがしばしばあります。

それを規則だからと否定したらその行政職員は終わりです。

その規制をどうしたら変えられるか、変えられないとしたらどうしたらそれに抵触せずに実行に移せるかを考えることが行政の役割だと思います。

規制というのは目的があるはずで、その目的が達成されるのであれば、規制方法というのは現行のもの以外の方法もあるはずです。

そこを考える必要があるのではないでしょうか。

また、一度対応することになった職員は、自分の担当課でないことについても自身の責任の下、庁内調整ができるのが望ましいと思います。

企画部門であれば比較的やりやすく、事業課だと厳しいところもあるかもしれませんが、日頃から庁内での事業を把握し、関係性を築いておくことが求められるのだと思います。

市民から見たら行政の組織の人で部署は関係ないということが窓口では良く言われましたが、どこの部署でも同じということですね。

むしろ、窓口の場合は〇〇の手続きはどこですかという質問に対して、窓口の場所を答える程度で良いかもしれませんが、市民協働となるとその部署に自身が取り次ぐ、むしろ調整するという部分までできる職員だと市民から頼りにされる職員になると思います。