まちづくり

自信のない地方と変わり続ける東京

地方に行って感じるのが、東京は〇〇という発言です。

年齢が上の人ほどこの傾向は強く、東京ではこうだけど、地元ではこうという言い方が良くされます。

これは、変化が良いこと、進んでいることだという認識から来るもので、東京は常に新しい情報が入ってきて、新しい取り組みが行われていて、すばらしいという評価からくるものだと思います。

東京に比べると地方の変化はゆっくりかもしれません。

ただ、これは変化しない部分が多く残っているということで、変化しない部分が歴史を持ち始めると、それが価値になります。

地方の多くはまだ中途半端な歴史、つまり1970年代~80年代の今から40~50年程度前の歴史しか持っておらず、この歴史というのは、子どもの頃から変わっていない古いままの状態というとらえ方をされるため、価値が見いだされないのだと思います。

ここで耐え切れずに変化をするか、もしくは我慢して残し続けるかでさらに30年経った時に価値が変わってくるのだと思います。

変化してしまった場合は、また中途半端な歴史を残し、変わらずにいた地域は自分が生まれる前からの歴史の残る場所になるわけです。

これの典型が団地だと思っていまして、古い団地は築50年を迎えようとしています。

多摩ニュータウンのように建て替えが行われた地域も出始めていて、ターニングポイントになっているのは事実です。

ニュータウンではなく、オールドタウンだといわれていますが、このオールドタウンがヒストリカルタウン、レガシーになってくると将来的には世界遺産級の効果が出てくるのではと期待していたりもするところです。

そのためにはメンテナンスや高層階でも住み続けるためのエレベーターの設置などハードルが出てくるわけですが、一部を残して集約するという形でいけると良いなと考えているところです。

変わるのか、変わらないのかという判断が重要だと思っておりまして、東京は日本の中で変わり続ける場所としてあり続けるのではないかと思います。

歴史を残すには変わらない道を選ぶしかないのですが、現状ではそれと経済成長というのは相反するものになっており、経済成長を続けるには変わり続ける必要があります。

そうなると、歴史的な景観の保存というのは、経済成長に反することになるわけです。

経済成長を促すには、むしろ数十年経った建物は撤去というような強制的な景観変更地域を指定する場所があっても良いのかもしれません。

一方で、いくら歴史を残すといっても、生活も100年前のままというわけではないですし、中身の部分は変わっていくのだと思います。

そして、この中身の部分が地方と東京で大きく違うところでもあります。

新しい考えというのは新鮮で、興味深く受け取られますが、正しいかどうかはわかりません。

古典が未だに読まれているように、考え方というのは普遍的なもので、時代に応じて表面的な部分は変わっても、根本的な部分というのは同じだと思います。

今を生きている私たちにとっては、この表面的な部分が重要なので、新しい考えを持っている人はすごい、東京の人はすごいと思ってしまうのだと思いますが、地方にいる人も東京という環境に暮らしていれば同じような考えになるのであって、地方に暮らしているのであれば、無理に東京流の考え方をしなくても良いのではないかとも考えたりします。

もちろん、地方の人が東京の人の話を聞いたからと言って、考えを改めるということが必ずしもあるわけではありません。

これまでは、まずは東京に行ってみて、結婚をしたりして、仕事を離れられず、東京に住み続けるというパターンが多かったのではないかと思います。

さまざまな働き方が出てきた中で、今後は東京にまずは行ってみたけど、スキルはあるから地方に戻るという人が増えるような気がします。

そうなったときに、地方の変化というのは以前よりも早くなると思われ、その時に備えて変わる部分と変わらない部分の線引きをしておけると良いなと思います。

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