良い実績を残しているのに評価されない。
なぜか自分よりも成績の悪い人が評価されている。
上司と飲み会に行っていて、仲良くなっているからだ。
そんな想いを持つ人も多いのではないでしょうか。
私は会社を経営するという立場ではそういった部分とは無縁になっているのですが、先日、良い事業をやっているのに広まらないという話をした際に、言われた一言が非常に響きました。
言われたのは、良いものをつくるのは当たり前。営業して相手に伝えられてはじめて評価されるということでした。
良いものを作っていれば人が見てくれるだろうというのは、その人の勘違いで、世間はそういう良いものが存在していることも知りませんし、知ろうともしていません。
こちらからお知らせしないと伝わらないというのが1つ。
もう1つは、良いものをつくることに精一杯で、営業の余裕がないような組織では広まらないのは当然ということだということです。
ここ数年はすごいことをやっていても、その実績を伝わるように整理しようともせず、またそれを広げるためのアプローチも全く行ってきませんでした。
事業を進めることだけに目を向けて、その実績をしっかりと伝える努力をしない。
このことが多くのマイナスの影響を与えていたのではないかと思います。
私はこれまで、運良く周りに人を見る目がある人たちに恵まれていて、自分でPRしなくても実績で評価いただくということが続きてきました。
それは、競争の激しくない世界に身をいていたからだったのではないかと思います。
一方で、最近はある程度評価されてきたために、評価されている人たちが集まる世界、もしくは評価してもらいたいとPRしている人たちがいる世界に入ってきていて、私自身がPRをしないと評価側の人の目にも入らないという状態になってきているのではないかと思っています。
それが組織の中では、いわゆる権力闘争と言われるものかと思うのですが、評価されないというのはPRが不足しているからで、そこはやはりPRをしないといけないのかなと思いました。
目立つことをやっていればPRをするまでもないというところもあるとは思いますが、それと組織内での評価とは別で、事業の成果と昇進のためのポイントというのは微妙に違う気がします。
特に管理職となると、求められるのはプレイヤーとしての成果だけではないので、良い結果を残している、積極的に活動しているというだけではだめなのかと思います。
特に組織の合議制で意思決定がされるような場合だと、合議に入っている人たちとの信頼関係がものを言うので、飲み会などでのコミュニケーションが求められてくるのかなと。
グローバル社会の中で生きていくためにも求められることのような気がします。
そういう観点で考えると、事業に集中しているから良いことはできるけど、PRの余裕のなかったというのがグローバルでの日本の評価だったのかなと思いました。
営業やPRというのは余裕があるからできることであって、むしろそれができないということは、余裕がないとみなされるので他から声がかからなくても仕方がない。
そういうマインドセットが大切だなと思ったところです。
実践できていないことではありますが。。。