今年は田中角栄元首相が生誕100年ということです。
田中元首相と言えば、ロッキード事件というのが多くの人が思い浮かぶことだと思いますが、中国関係者にとっては、日中国交正常化をした時の首相というのが大きいです。
国交正常化というのは、それほど大きなことだったのか。
国交正常化から46年が経ちますが、最近その当時の状況を学んでそのすごさがわかりました。
その大きな原因は、台湾と国交を結んでいたということだと思います。
当時はまだ冷戦が終わらない1970年初頭。
共産主義に対する警戒心は強く、当時の与党自民党には、台湾との関係性を重視する立場の人も多かったようです。
そのような中で、中国とソ連との関係性が悪化し、アメリカのニクソン大統領は突然の訪中をする中で、超党派で日中国交正常化をするという動きが出てきたようです。
自民党総裁選の時に、福田赳夫元首相との争いが想定された田中元首相は、三木武夫元首相、大平正芳元首相、中曾根康弘元首相という各派閥の長に対して日中国交正常化を実現することを条件として、支援を取り付け、総裁になります。
首相になってから、外相となった大平元首相とともに、訪中し、国交正常化を実現したとのことでした。
その際の大平首相との役割分担も明確で、責任は首相が取るが、すべて大平外相に任せるというスタンスだったとのことです。
そのため、訪中した時に田中首相は時間的に余裕があり、漢詩を作ったりしていたようです。
その時の外務省の担当者はチャイナスクールの人たちではなく、アメリカよりの人たちだったというのもアメリカとの関係性を重視しながら実現した日中国交正常化というスタンスが垣間見られて面白いと思いました。
生誕100年を世間で騒がれる人はどれだけいるでしょうか。
毎年3万人以上が100歳を迎える中で、没後の100歳が祝われる田中元首相は、それだけのインパクトがある人だったのだなと思います。