私は老害というものをよく考えます。
これは、自分自身がそうならないようにしたいという思いが強いからだと思いますが、高齢者が増える世の中では、高齢者の意見が強くなるのが当たり前で、若い人が活躍するためには、老害は極力排除しないといけないからという思いがあるということもあります。
老害というのは、いくつかパターンがあるのですが、原因は大体同じです。
それは、思い込みと押し付けです。
自分はそう思う。
そして、それを正しいと思う。
それを相手にもやらせようとする。
これは、年配の人に限らないことだとは思いますが、こういう人は人が離れていきます。
そして、高齢者は仕事という強制的に加入するコミュニティがないため、この態度をとると、すぐに孤立します。
しかし、それに気づかないと、どうなるかというと、焦ってさらにその傾向が強くなる人もいます。
そうなると、勝手に行動をしたり、みんなが聞き入れられない意見ばかりを言ってしまって大変です。
それが、運悪く自治会などの地域コミュニティやボランティア活動で起こったら最悪ですね。
その組織の崩壊の危機です。
まず、何も言わずに去っていく人が出てきます。
話の中で、いさめる人もいますが、徐々に疲れてくるので、時にはその人の言うことを尊重したりもします。
ここでもう足を踏み外してしまうんですね。
はっきり言うと、みんなが良いと思わない意見を尊重してしまった段階で終わりです。
この段階でまっとうな人も組織を去っていきます。
それまでは変な人がいて、変な意見を言っていても、誰かが制してくれたから参加していたものの、その防波堤も決壊したとなっては、もう駄目だと思ってしまうからです。
そうならないようにするには、どうしたら良いのでしょうか。
一つは、その原因となる人に気づいてもらうということができると良いと思います。
誰か仲良い人ができれば、その人からそれとなく言ってもらうなどの方法ですね。
まず、誰かが仲良くなるというのが大変かもしれませんが。
もう一つは、排除するという方法です。
おそらく、その人ひとりが排除されたからといって、あまり大きな影響はないと思います。
もちろん、その人があまりに行動的で、排除された後にいろいろ事を荒立てると大変ですが、そういう人はまれではないかと思います。
問題は、ちょっと寂しい気持ちになるということですね。
このような人が出現すると、話し合いの場も無駄な時間が多くなりますし、この人を救うための時間をかけるのも面倒という気持ちもわかるのですが、活動をしていると1度か2度は必ず出会うことだと思うので、この後も同じような方に出会った時のためという名目ででも、うまくなじんでもらえるようにすると良いのではないかと思います。