私はお金をもらわないのであれば、やりたくないこともできます。
でも、お金をもらってしまうと、やりたくないことをするのはできません。
たぶん、普通の考え方とは少し違うと思うのですが、それはどういう気持ちからなのか、考えてみたいと思って整理のために書きました。
原則1 やりたくないことはしない
私が起業してから徹底されているのが、やりたくないこと、やりたくない人とは仕事をしないということです。
自分で会社を興したのだから当たり前と思われるかもしれませんが、これができるようになるには、しっかりとした意思がないとできません。
というのも、会社の売り上げや雇用の確保をするには、やりたくないことをした方が良いからです。
特に、売り上げに困っている時に、お金になる話がくると断るのは勇気がいるのではないでしょうか。
私はそこは徹底していて、やりたくないこと、やりたくない人とはやらないというスタンスできました。
一度決めたことや、違和感を感じる場合は、たとえ短期的に大きな損失になっても避けるようにしています。
そこを妥協すると作り上げた世界観が大きく崩れることになるからです。
原則2 やりたくないことは、お金をもらわない
ただ、組織のことを考えると、そうもいかないなという場面があったりします。
その時に自分を納得させるために使うのが、ボランティアで取り組むということです。
嫌なことをやるのだからお金をもらうと考える方が多いかと思いますが、私の場合はやりたくもないことでお金をもらうということに納得がいきません。
よくわからないですよね。
この考え方の意味が私自身もわからなかったので、今回筆を取った感じです。
お金をもらいたくない理由
私にとってお金を払うというのは、何かに対する対価として払うものというよりは、御礼という認識なのだと思います。
物を買うこともほとんどないというのもあると思います。
これだけのことをやってくれてありがとうという意味での支払いです。
逆に考えると、お金をもらうときは、私の行為に対してのお礼として受け取っているという認識なのだと思います。
そう考えると、私がもらっているお金は、誰かのお礼であって、そのお礼を私もありがたく受け取っているということになります。
お礼を受け取る側にも断る権利はあって、こんな人から感謝されたくないと思ったら、断ることができると思います。
むしろ、感謝されたくない人からお礼をもらってもありがた迷惑です。
そんな気持ちから、やりたくないこと、やりたくない人からはお金はもらわずボランティアで関わるという形になっているのだと思います。
ボランティアだからこそ出るやる気
さらに進めると、ボランティアであれば、使命感からやりたくないこともやる気が出たりもします。
お金のためにではなく、あるべき世界のためにという意識になるからだと思います。
ここでポイントなのが1円でももらった瞬間にその気持ちがお金モードになってしまうということですね。
多い少ないに関わらず、お金が発生した瞬間に周囲の見方も変わりますし、行動に対する評価も変わります。
気軽な気持ちでできるというのもあるのかもしれません。
やりたくもないことをやって、それで文句を言われるのは嫌だというのが大きいかもしれません。
こんなことを言っていると、お金に色はないんだからもらっておきなさいと言われそうですが、嫌なことは嫌なんですよね。
極論すると、やりたくもないことをやって生きていくのなら、死ぬということになるのかもしれません。
自分はお金では動かないよというのを伝えたいのかもしれません。
お金で動くのであれば、公務員を志した時点でおかしいですし。
ただ、事業をしていく中でお金の大切さ、お金があるからできることというのもあることがわかりました。
お金がいる、いらないという話ではなく、何の対価としてお金をもらうかにこだわりを持っているということですね。
こんなこと書いてしまいましたが、そんな考えは甘いという人の顔が思い浮かびます(笑