昨日に引き続き、情報を発信している人勝ちの状況をどうすれば良いのかということについて考えています。
情報が質よりも量になっていると思います。
というのも、1日に多くの情報量が入ってくるので、一人ひとりの情報処理のスピードが上がっているため、かつては質の低い情報を見ると時間を無駄にしたと感じたものが、最近ではさらっと読み飛ばせるようになっている人が多いからだと思います。
そういう意味で、情報の質が低いことに対してはあまり抵抗がなくなっており、質の低い情報は読み飛ばして、次のものに進むという行動が普通になっているのだと思います。
そうなると、発信者側としては、質の低さはあまり気にすることがなく、とにかく大量に発信して、どれか一つが当たれば良いという考えになるのではないでしょうか。
これは、まさに中国流の考え方で、とにかくやってみる。
間違っていたら後から修正するというタイプです。
公務員出身の自分としては、間違いのないものを出すということが身についていたものの、最近ではそれよりもスピードというのを意識するようになってはいました。
しかし、質より量というまではなかなか踏み切れずにいるところです。
そうはいっても、時代は質より量が評価される世の中になっています。
ここに対応をしなくてはいけないのでしょう。
考え方を変えると、人の評価のされ方も変わってくると言えます。
これまではミスのない人が優秀だとされてきました。
よく公務員の業界では、何も起こさない人が優秀だと言われましたが、まさしくそういうことだと思います。
しかし、最近では行動をする人が評価されはじめています。
たとえ過去に失敗をしていたとしても、それが大きなミスでなく、その後の活動が評価されれば大きく評価されるといった感じです。
20年前だと1度のミスが致命的だったと思うのですが、最近では必ずしもそうではないということですね。
そういう時代の流れに対して、学校は変化に対応できているのでしょうか。
テストの形式は相変わらずなので、ミスをしないことが評価される形式になっているのではないでしょうか。
学校で優秀な人が社会に出るとそうではなくなる。
学校で優秀でなくても社会では評価されるというのは、このような学校での評価基準と社会での評価基準が異なることからきているのだと思いますが、社会での評価基準がどのように変化してきているかというものをしっかりと把握する必要があると思います。
その点で、高学歴の人たちは、学校の評価基準で人を判断しがちなので、頭を入れ替える必要がありますね。
私自身も大いに反省すべきところで、社会の流れをしっかり見定めたいと思います。