会社組織は、給与体系、命令伝達といった点で役職があると便利だと思います。
ボランティア組織の場合は、給与はありませんし、それぞれやりたいことをやっている団体であるため、上下関係というものは存在しない方が良いような気がします。
しかし、多くの団体では、代表者を設けて、人数が多くなると役割分担をして、その役割ごとに代表者を決めています。
やはり、その方が効率的だからということだと思います。
ただ、そうなると、代表者との間に上下関係ができてしまうような気がして、そこがどうも納得いきません。
管理をする側の人間が管理される側の人間よりえらいのか。
大切なのか。
昔、中国の秦朝末期の項羽と劉邦の時代です。
劉邦の家臣に韓信という名将がいました。
ある日、劉邦が韓信に「私はどの程度の兵を扱えるか」と聞いたところ、韓信は「10万ぐらいでしょう」と答えました。
続けて、「韓信はどの程度の兵を扱えるか」と聞いたところ、韓信は「多ければ多いほど良い」と答えたそうです。
この答えは韓信の方が劉邦よりも兵の扱いに慣れているという話になりますが、韓信は兵の扱いはできるが、将の扱いはできず、その点で将のなかの将である劉邦の方がすぐれているという言い方をしたそうです。
この話から考えると、人にはそれぞれ強みというものがあって、兵を管理するのが得意な人もいれば、将を管理する人が得意な人もいます。
さらには、兵であることが得意な人もいれば、兵とは少し離れますが、戦争をしないための交渉が得意な人もいたりするわけです。
結果、その人それぞれの強みという点では、対等の立場であるわけです。
ただ、もちろん兵で優れていても1人当たり10人相手にできればすごいとなりますが、1000人の兵を扱うことに優れていれば、桶狭間の織田信長のように数万の相手をやぶることもできるわけです。
成果という部分で評価がされるとなると、やはり1人で戦う人よりも1000人を扱える人の方が重宝されるということにはなるのかもしれません。
ボランティア組織も成果主義で、大きな成果を上げた人が重視されるということなのでしょう。
そう考えると、仕事の場合は、評価が給与も含めて行われますが、ボランティア組織の場合の評価は専ら役職ということになるのかもしれません。
ただ、ボランティアに関わる人は役職はいらないという人がかなり多いので、能力とは関係なく、なりたい人が役職に就いてしまうということも大いにあると思います。
ここでなりたいから役職にということを許してしまうと、評価がよくわからなくなってくるのと、能力に応じたものではなくなってしまって、組織が崩れてくる原因になってくるのではないかと思います。
ボランティア組織は仲の良い人たちのグループ、気持ちの優しい人たちが多いのが特徴です。
ここに厳しい判断を入れるのは、なかなか難しいかもしれませんが、継続した活動という面で、意識しておかないといけない部分だと思います。